(口語訳聖書 マルコによる福音書6章6a−13節)
杖と履物以外に何も持たせずに派遣したのは、十二人の弟子たちが「ただ神の恵みによって」宣教するためであった。しかも会得だけでなく、体得を求めた。今日の夕飯が食べられるかどうか、今晩宿る場所が見つかるかどうか分からない環境に身を置くことで、弟子達は今日の命が神の恵みによることを知る。恵みのその日暮らしが始まる。
空手に見える弟子達の手にはただ「汚れた霊に対する権能」のみが授けられる。これは諸々の悪しき力を駆逐し、人々を解放する不可視の神の力である。
「遣わす」という言葉は弟子たちが「使者」であることを表している。使者の務めは口頭で、あるいは文書にて情報を伝達することにある。彼らはキリストの手紙を携えている。神の力はここに宿る。
私たちにできることはこの手紙を手渡すことだ。福音の説教、証、たわいもない世間話、握手、あらゆる仕方でこの手紙は贈られていく。無理だろうとどこかで諦めている自分がいたとしても、大丈夫だ。手紙は届く。信じれ(秋田弁)。ほんの小さなことを通して手紙は届くのだ。